「楽しいとはなにか?」なんて本当は考えなくても、楽しいから楽しいでOKだと思います。
でも現代を生きている人たちは、楽しささえも定義しないとわからないほど心がすさんでいるのではないでしょうか。
わたしも「楽しいとはなにか」と考えた時期があります。
わたしは楽しいとは
「失敗でさえ笑いのネタにして、家族や友達と笑いながらビールを飲むこと」
と定義しました。
今回この記事では「楽しいとは」について、わたしのたどり着いた考えをお話します。
「楽しいとは」楽しいと感じない、楽しいがわからない人へ
辞書で調べると「楽しい」とは、満ち足りていて、愉快な気持ちである。と書いてあります。
この定義からすると、楽しいと感じない、楽しさがわからない人は、なにかが足りてなく不愉快な気持ちということになります。
要は、心のエネルギーが枯れ果て乾燥し、イヤな気持ちを抱え込んでいる状態といえるでしょう。
心が乾燥している状態では、楽しいという種があっても潤いがないために芽を出しません。だからいくら考えても愉快な気持ちは生まれてこないのです。
まずはゆっくり休養して、心に潤いを取り戻すことを優先することが大切です。
そうすれば自然と楽しさが芽生え、心が楽しさの森になります。
参考記事:ブレない人は自分の軸で生きている「振り回されない心の作り方」
楽しいとは時間を忘れて夢中になること
「最近夢中になったことがありますか?」
たぶん多くの大人たちは「ない」と答えるはずです。
わたしはこの前、友達の仕事を手伝いました。
慣れない仕事で疲れたけど、時間はあっという間に過ぎ、楽しかった、面白かった印象が残っています。
アルバイト代は「生ビール10杯分」
アルバイト代が生ビール?と思うでしょう。わたしはその場で現金を貰うよりも友達と時間を共有して、大好きなビールが飲めることが楽しいのです。
アルバイトで夢中になり、居酒屋で話に夢中になれる。
そう、楽しいの原点は夢中になることなんです。
参考記事:子どものころのワクワクを取り戻せ!「夢中になれば人生が楽しくなる」
失敗って損?いいえ、笑いのネタです
多くの日本人は「失敗は許されないもの」と捉えがちですよね。
そもそもこの考えが楽しくありません。
たとえ失敗しても「あ~やらかした」より「ネタができた」と思えば楽しくなります。
実際のところ、くどくどと成功体験を聞かされるより、失敗談を面白おかしく聞く方が楽しいと思います。
失敗を恥ずかしいと思わず、どんどん挑戦していこう。失敗しても笑いのネタになると思えば楽しい。
楽しい人生って「失敗を笑いに変えてうまいビールを飲む」ことなんです。(わたしの場合です)
参考記事:【大人たちへ】夢中になれ!辛いことも楽しいことも我慢することが大人ではない
どれだけ苦労したかより、どれだけ笑ったか
多くの大人はいつも真顔で眉間にシワをよせています。社会にでると笑わなくなります。笑うことがダメだと感じます。
まるで「笑ってはいけない」を見ているようです。笑ったら全身タイツが出てきてケツを叩かれるのか?本当なら面白いですが。
「苦労は買ってでもしろ」なんて誰が言いました?。なぜわざわざ楽しくないことをする必要性がどこにあるの?
こんなことをリアルの世界で言ったら「楽しいだけじゃ生きていけない」とか「おまえみたいなヤツがいるから世の中おかしくなるんだ」とかめちゃくちゃ叩かれそうですが、わたしの本心です。
みんなの本心も「楽しく生きたい」でしょうに。
そんなんで楽しいですか?
苦労を美徳とする日本文化はもうやめて「笑いのネタ」にでもしましょう。
さあ笑え!いますぐ笑え!
参考記事:苦労はゼッタイ買うな「幸せになりたいなら苦労は避けるべき」
【まとめ】あなたの楽しいの定義は決まりましたか?
楽しいの定義は人それぞれです。
わたしは 「失敗を笑いに変えてうまいビールを飲む」 と定義しました。
さあ!あなたの「楽しいとは」どんな定義なのか教えてください。