折れないココロのつくり方「柔らかく、しなやかに」

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わたしたちに心は、時として「ポキッ」と折れそうになる。

一生懸命に努力をしたり、イヤなことでも真面目に取り組んだりしているとき、些細な失敗や理不尽な出来事、自分ではコントロールしようがない不運に見舞われれば、心にストレス負荷がかかる。

「なんで自分ばっかり」

「もう、いやだ」

けしてあなたが悪いわけではない。

あなたは一生懸命に努力もしたし、真面目に取り組んできた。しかし、不運は突如としてあなたに襲い掛かる。

ひとつ言えることは、あなたの心は弱くない。逆に強すぎて堅いのだ。

だから、今まで人を頼らず、逆境に負けることなく、自分だけの力で乗り越えてきた。

でも、知らず知らずのうちに強くて堅い心も、ストレスの負荷によって「疲労限界」を迎えようとしている。

そう、鉄のように。

今のあなたには折れかかった心を修復するための休息が必要だ。

このまま無理をすれば、むかしの私のように心が折れる。一度、折れた心の修復には時間がかかる。

だから、本当に無理はしないでほしい。

そして、今回この記事では、柔らかくしなやかな「折れないココロのつくり方」をお話していく。

目次

視点を変えて、柔らかくしなやかに

折れないココロは「強く、柔らかくしなやか」であること。

あなたの心はもう十分強い。だから、凝り固まった心をほぐして柔らかくしていこう。

人は経験を重ねると、物事のとらえ方が偏っていく。これを心理学の用語で「認知の歪み」と呼ぶ。

簡単な例としては「真面目でなければいけない」「失敗は許されない」という完璧主義的な思考だったり、「いつもダメ」「絶対にムリ」という極端な一般化がある。

認知の歪みはネガティブな方向に働くため、ストレスを生む原因になる。

まずは、ストレス負荷を減らすために視点を変えていこう。

これから「3つのやめる」をご紹介していく。

実は始めることよりも「やめること」のほうが難しい。なぜなら、長年の経験で偏った認知の歪みは、潜在意識に染みつき「自動思考」となっているからだ。

要は、意識していないのに勝手に出てくる思考のこと。

確かにやめることは難しい。だが、難しいがゆえに効果は絶大だ。

白黒思考をやめる

白黒思考とはその名のとおり、物事を「白か黒か」だけで判断する極端な思考のこと。

あいまいな状態に耐え切れず「成功か失敗か」「良いか悪いか」「はいかいいえか」「100か0か」など、はっきりと区別しないと気が済まない。

時にはこういった決断は必要だけれど、常に白黒つける判断をしていると「決断疲れ」を引き起こす。

白黒の2択より3択、3択より4択と、選択肢を増やすことで物事に柔軟に対応できるようになる。

例え結果は失敗したとしても「この部分はうまくいったよね」「この部分を改善すれば良くなるよね」と、結果ではなく過程に注目してほしい。

良いところもきっとあるはずだ。

すべき思考をやめる

「すべき思考」は完璧主義者に多い。私も昔はすべき思考の塊だったと思う。

すべき思考は自分にも他人にも厳しい。

マイルールを作り上げ、そこから外れることが許されなくなる。

「○○すべきだ」

この「すべき」のルールは器のようなもので、すべき思考が強いと器がどんどん小さくなり身動きができなくなる。

さらに、親や学校の先生、会社の上司など、自分より目上の人の「すべき」と自分の「すべき」が合わないとき、ストレス負荷が高くなってしまう。

自分のすべき、相手のすべき、どちらにしても「すべき」は許容範囲を狭めてしまう。

自分の軸、自分の価値観を持つことは大切。

あなたと私が違うように、だれひとり同じ「すべき」なんて持っていない。そもそも人間なんて不完全なもの。

だから、あなたの「すべき」はあなたが創り上げた虚像にすぎない。

ただ、次の「すべき」は持っていてもいい。

  • 楽しくあるべき
  • おもしろくあるべき
  • 幸せであるべき

フィルタリングをやめる

ネガティブはポジティブよりも強い。

ポジティブになろうとすればするほど、裏を返せばネガティブが強いことになる。

ポジティブ思考がいいのはわかっているが、無理にポジティブになる必要はない。

ただ、自分の心にフィルターをかけてネガティブな側面だけを見るのはやめよう。どうしてもネガティブな情報が頭に入ってくれば、心もネガティブな方向へ引っ張られる。

そうなると「わたしには無理」「ぼくはダメな人間だ」と思考が偏っていく。

どんな物事をとって見ても、良い部分と悪い部分はある。

白黒思考ともつながる話だが、情報にフィルターをかけて「良し悪し」で判断しないことが大切だ。

自分をキライになるな、自分に嫌われるな

心が折れない人は「自分のことが好き」だという特徴がある。

これはナルシストという意味ではなく、ありのままの自分を受け入れられることを意味する。

それでは、心が折れるときはいつか?

それは「自分をキライになったとき」だ。

一生懸命に努力もし、イヤなことでも真面目に取り組んできた。だけど、うまくいかない。能力のない自分が許せなく、情けなく、イヤになる。

そこに心の柔らかさ、しなやかさはない。

わたしたちは誰かの人生を生きているわけではない。自分の心といっしょに、自分の人生を生きている。

あなたが自分をキライになったり自分に嫌われたりすれば、いったい誰があなたの人生を生きてくれるというのだろうか。

あなたはあなたを生きるしかない。

それなら、自分のことを好きになって、自分から好かれる生き方をしたほうが断然、楽しい。

楽しさに生きていれば自然とココロは柔らかく、しなやかになる。

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