「辛いことに耐え、楽しいことも我慢する。それが大人です」みたいな風潮があるけど、それって楽しいですか?
成功する人は我慢しません。
こんなことを言うと
- みんながみんな、楽しく生きられる訳じゃない
- 楽しいだけじゃ生きられない
- 世の中そんなに甘くないし、我慢は必要だ
なんて言われますよね。
でも、みんな楽しく生きたいでしょ?なんで本心を隠すの?それが大人?
なぜ「辛い大人」になることばっかり考えるのか、ぼくには理解できません。
生きにくい大人の美学
大人の美学とは、キレイごとで固められた嘘の世界。
大人だから理不尽な要求にも我慢して対応、輪を乱さないように自分を押し込めて、世間体を気にして見栄を張って・・・
「空気を読む」「お客様は神様」「〇〇警察」なんて言葉が生まれるけど、これって大人の美学からくる押し付けなんでしょ。
みんないつも周りを見渡して「自分変じゃないよね」「大丈夫だよね」って、他人ばかり気にしてる。
大人って、他人のために生きることなの?
こんなの楽しくないし、生きにくい。
本当の大人とは
我慢が不要だとは言わない。
でも、我慢することが大人ではない。我慢は子どもだってする。
「じゃあ大人ってなに?」って思うでしょ。
私の考える大人とは
- 自分の軸をしっかり持っている
- 他人の個性を尊重できる
- 生きる楽しさを子どもに教えられる
たったこの3つ。
自分の軸をしっかり持っている
「自分の軸」とは、他人に左右されない、自分なりの考えや思いがあること。
他人の言うことや、他人の行動に惑わされているようでは、大人とは言えない。
ちゃんと自分のアタマで考え、夢中になって、行動できる人こそが大人なのだ。
しかし、勘違いしてはいけないのが、「自己中心的」「利己主義」とは全く違うこと。
自分のことだけを考えて人を傷つける利用する行為は、けして許されるものではない。
他人の個性を尊重できる
多くの大人が「出る杭は打たれる」などの横並び主義や、「短所を克服する」などの平均主義を語るけど、これでは個人の跳び抜けた能力を殺してしまう。
集団の中で生活をしていると、個性は押し込めるものと言った同調圧力をかけてくる人たちがいるけど、自分の考えがない、すなわち自分の軸がない人は、他人の個性を尊重できず、自分たちと同じ土俵の上に上がらせようとするんだよね。
このような人たちは「自分の軸」を持っていない思考停止したロボットと同じ。
本当の大人は、自分と他人が違うことを理解している。だから平準化しようとはぜず、他人の個性を尊重できるんだよね。
生きる楽しさを子どもに教えられる
「大人は我慢するもの」「大人になると大変」と、子どもに辛さや大変さを説く人がいますが、これが子どもたちにとって明るい道しるべになるのか。
本当の大人なら、子どもたちが呆れるぐらい「夢中になって楽しむ姿」を見せてやれることが大切。
大人になったら、思いっきり楽しむことが恥ずかしいと思う人もいるけど、まずは、大人が率先して人生を楽しまないと、子どもに「人生は楽しい、大人は楽しい」なんて教えられるはずがない。
まとめ
自ら「辛い大人」になっていないでしょうか?
辛いことに耐え、楽しいことを我慢することが大人ではない。
自分の軸をしっかりと持ち、他人の個性を尊重して、子どもたちに生きる楽しさを教えてやれる、これが本当の大人です。
子どもたちが呆れるぐらい、楽しいことに夢中になって、腹の底から笑える魅力的な大人になりましょう。