正しさに疲れていませんか?いつまで自分に嘘をつき続けますか?
正しいことをしていれば、だれもあなたを責めたりはしません。しかし、だれもあなたに魅力を感じることはありません。
なぜなら、正しさの鎧に身を隠し、周りに本当の姿を見せないから。
確かに正しいことは「悪い」ことではありません。でも、ものすごく窮屈ですよね。なぜ窮屈かと言うと、その正しさはあなたの正しさではなく、他人から押し付けられた正しさであって、あなたにとっての正しさではないからなのです。
今回この記事では、正しさとはなにか、そして、正しさより「面白さ」を優先すべき理由をお話します。
正しさとは「せまい基準」の中でしか生まれない
世の中にはいろいろな基準があります。
憲法から始まり、法律や規則、ルールなどですね。学生なら校則、会社員なら就業規則なるものが存在します。
正しさとは、この決められた基準を守ることだと思われています。
わたしが不思議に思うことは、そもそも基準が間違いであれば、主張する正しさも間違いであるはずなのに、正しさを主張する人は基準そのものには目を向けないことです。
たぶんこのことが、正しさが窮屈な原因であり、正しさに疲れる原因であると思います。
正しさの基準は他人が作り出したもの
いま、わたしたちが従っている基準は、わたしたち以外の「だれか」が作り出した基準。
わたしたちは一人ひとりが個であり、「だれか」が作ったせまい基準でひとくくりにされても合うはずがありません。当然、基準の解釈も個々で変わってきます。
たとえば、会社では8時から17時(昼休憩1時間)までの勤務だったりしますが、仕事の都合上7時までには仕事を開始して、なにもなければ16時には仕事を切り上げる。ぴったり8時間勤務、これがわたしの考える正しさです。
しかし基準で見ると、17時まで働いていないことは「正しくない」とされてしまいます。
確かに会社の基準から見ると、正しくないのでしょう。しかし、わたしから見ると、7時から仕事をしなければいけない状況には目をつむり、17時まで仕事をさせる基準は正しくないのです。
正しさは身を守ると同時に攻撃性に転じる
冒頭でもお話したとおり、正しさは身を守る鎧になります。基準に従い、正しいことをしていれば、だれも責めたりはしないからです。
ここまでなら、その本人が窮屈だよねって話で済みますが、厄介なことに「正しさは攻撃の武器」になるのです。
なぜなら、自分が正しい(と思っている)がゆえに、他人の正しくない行為が許せなくなるからです。だから、自分の正しさに合わせるよう他人をコントロールするために攻撃性に転じるのです。
基準の上での正しさを武器に攻撃してくるので、周りの人は従うほかありません。そうなると、ますます正しさの武器は強くなっていき、ますます窮屈になっていくのです。
あなたの周りにもいませんか?正論を武器にするクレーマーやモンスターペアレント、毒親など。
型にはまった正しさに魅力はない
あなたの周りにもルールに厳しい親、規則に厳しい先生がいると思います。
その親や先生などに魅力を感じることは皆無なはずです。それどころか、反発心が大きのではないでしょうか。
魅力も感じないし反発心が大きくなるのは、型にはまった正しさには共感性がなく、本音や感情を無視しているからなのです。
正しさを鎧とし、正しさを武器としている人は、自身にも周りにも嘘をついています。もっと言えば、思考停止状態にあり「なにも考えていない」と同じです。
だれかが作った基準をひたすら守り、自分の信念や志を持っていない。もはや規則正しく動く感情のないロボット。感情のないロボットに人としての魅力を感じないのは当然のことですよね。
あなたの本音があなたの正しさであり魅力である
わたしは、決まりごとを守ることが正しさだとは思っていません。もっと言えば、万人に共通する正しさなんて存在していないと思っています。
仮に、みんながみんな正しさを共有しているのであれば、争いなんておきません。それぞれの正しさがぶつかり合うから争いがおこる。「わたしが正しくて、おまえが間違っている」とみんな思っています。
しかし、だれも争いなんて好まない。だから、自分の本音を隠し、思ってもいない正しさに従ってしまう。そして、正しさで人を裁き始め、息苦しい世の中を作り出してしまうのです。
それなら正しさより「面白さ」を優先してみてはどうでしょうか。
本音が面白さにつながり、魅力となる
ここで言う本音とは、あなたの正しさを他人に押し付けることではありません。
基準に従った正しさよりも、「こうやったら面白いよね!」「こうしたら楽しいよね!」と、自分の心に従って行動することがカギとなります。
中学生が夜中に家を抜け出して友達と遊ぶように、凝り固まった正しさから「ちょっと抜け出してみる」、そうすることであなたの世界は広がり、周りに「共感」を与えることができるのです。
意外とあなたの本音と周りの本音が同じかもしれません。そうすると、正しさの壁を破ったあなたは面白いヒーローになれるかもしれませんね。
最初のうちは、正しさの壁から抜け出すと少し罪悪感があるかもしれません。
ですが、自分の本音で行動しているあなたにとって、もはや正しさなんてどうでもよくなるのです。
建前の正しさよりも「自分がどう在りたいか」
他人から押し付けれる正しさほど疲れるものはありません。
中には、建前の正しさと自分の本音のギャップが激しくて、うつ病などの精神疾患になる人もいます。(わたしがそうでしたが)
「自分がどう在りたいか」これだけをハッキリさせておけば、建前の正しさに惑わされることはありません。
仕事でも人間関係でも、あなたはあなたでいられるのです。
自分を貫けるあなたは、魅力的に映ることでしょう。
面白さが常識の枠を取っ払う
他人から押し付けられた正しさは、基準の枠の中にしか存在しません。
しかし、面白さはいとも簡単に常識の枠を飛び越える可能性を持っています。
歴史的な偉業を成し遂げた偉人たちも、基準の枠に収まらず、常識の枠を破るからこそ歴史に名を残してたのです。
基準の枠、常識の枠、その枠を破った者だけが世界を変える力を持っているのです。
目指すは「人を傷つけない面白さ」
正しさは、だれかを攻撃する凶器になります。正しさは、だれかを否定する言葉になり得ます。
人を陥れる、人を傷つける、人を従わせる、人に責任を負わす、そして人の自由を奪う。こんなものは正しさでもなんでもありません。
正しさは人に押し付けられたり、押し付けるものではなく、自分の中の信念、志として「自分がどう在りたいか」を自分自身に問いかけるものだと思います。
だから、自分の正しさは内に秘め、周りの人と「面白さ」を共有することが大切。
いいアイデアも、楽しい笑顔も、せまい基準に縛られた枠の中には存在しません。面白さで個々の多様性を認め、すべての枠を取っ払い、新たななにかを創造していく。
これからの時代は、面白さが人生を楽しく生きるカギとなるのです。そして、面白さがあなたの最大の魅力となることでしょう。