個の時代は始まっている。
今まで組織の看板に守られてきた「横柄な」「傲慢な」人たちは、たちまち立ち行かなくなる。
個の時代では組織と組織、上下の繋がりは薄くなり、代わりに個人と個人の横の繋がりが濃くなる。
自分の得意とする能力を発揮し、苦手なことは得意とする誰かに助けてもらう。個の時代とは、これまで以上のチーム戦であり、これまで以上に繋がりが大切なのだ。
組織に属していても看板の力ではなく、個人の能力による繋がりが大きく影響する。
すなわち、組織の内外問わず、誰かに「あなたの力を借りたい」「あなたを助けたい」と思われるような人柄になる必要がある。
あなたは横柄な人の力を借りたいと思うだろうか。あなたは傲慢な人を助けたいと思うだろうか。
勘のいい方ならもうお分かりだろうが、個の時代だからこそ謙虚な気持ちで周りと接することが大切なのだ。
本当の謙虚さとは
そもそも謙虚さとはなにか。
おごり高ぶることなく、控えめな態度で人に接するようなあり方。
Weblio辞書より
自分の能力にあぐらをかくようなことはせず、常に周りから学習する。自分の地位があるのは、周りの支えがあるからこそ。
周りの人たちのおかげで自分があることを知っている人は、自然と素直になり謙虚な気持ちで人と接することができる。おごり自惚れている人はプライドが高くなり横柄・傲慢な態度になる。
本当の謙虚さとは、周りに生かされていると知り感謝することなのだ。
無礼者は排除される時代へ
横柄で傲慢な態度をする人が少なからず存在する。
このような無礼者が生き残れたのは、組織の看板の力であったり「臭いものにはフタをする」「見て見ぬふりをする」日本独特の文化があり、無礼者でもそれなりの成果を上げていれば排除されなかった。
だが、時代は組織から個へ移り変わり、組織の看板はさほど力を持たなくなった。さらに無礼者がいることで評判は悪くなり、ますます組織の看板は力を失うことになる。
だから組織は、無礼者を排除する動きにでる。
組織から個人の付き合いに移り変わる
仕事を例にとるとわかりやすい。
これまでは会社と会社の取引関係で仕事をしていた。無礼者が子会社の社員に横柄な態度をとっても関係が切れることはなかった。
子会社の社員は、無礼者から仕事を切られると損害になりかねない。どんな理不尽な目に合わされても我慢をしてきた。
要は、○○会社の看板が無礼者を守っていたのだ。
だが、今はもう違う。
個の時代に人手不足が重なり、無礼者と付き合い、神経をすり減らしながらも大した利益も見込めないのなら、無礼者と無理して付き合う必要はないと考える人が増えてきた。
人手不足は無礼者のいる会社も同じ。取引先がどんどん離れていけば、利益どころか仕事が回らなくなる。
無礼者は会社に損害を与えているのだ。
たったひとりの無礼者が組織を腐らせる
無礼者がいるだけで組織を内部から腐らせていき、あっという間に力を失うことになる。
無礼者がいる職場では次のようなことがおこるという研究結果がある。
- 48パーセントの人が、仕事にかける労力を意図的に減らす。
- 47パーセントの人が、仕事にかける時間を意図的に減らす。
- 38パーセントの人が、仕事の質を意図的に下げる。
驚くべきことに、たったひとりの無礼者がいるだけで、約半数の人が手を抜くことがわかったのだ。
組織もこの結果を知れば、「臭いものには蓋をする」「見て見ぬふりをする」ことはできないであろう。
私の知っている会社でも、無礼者が取締役に就任してわずか5年ほどで、他者が見ても「もう終わりだな」と思えるぐらい力を落とした。
たったひとりの無礼者は、組織を壊滅させるだけの「ある意味すごい力」を持っているのだ。
無礼はウイルスのごとく感染する
先ほどの「たったひとりの無礼者が組織を腐らせる」に続く話だが、無礼はウイルスのごとく周りに感染していく。
しかも一瞬で。
これは直接に無礼な体験をした人に限ったことではなく、第三者的な立場からその光景を見聞きしていた人にも感染する。
無礼を体験、もしくは見聞きした瞬間に人は攻撃的になる。その雰囲気は瞬く間に違う部屋、違う階にも広がっていく。
組織内の雰囲気は殺伐とし、誰もその場に留まりたくないと思うようになる。
さらに無礼のウイルスはその場限りではなく、元凶となった無礼者がいなくなってから何年、何十年も影響は残り続ける。
無礼者が座っていた席を見るだけでも、無礼者が居た部屋の前を通るだけでも、その無礼な光景は即座に、そして鮮明に蘇り、人々を苦しめていくのである。
礼節を知れば実は熟す
「横柄な」「傲慢な」人たちはそのうち排除されるが、また新たな無礼者が出現することは世の常である。
私たちにできることは、私たち自身が礼節を重んじ、謙虚な振る舞いで人々に接すること。
そこに無礼者が関与する余地はないのである。
謙虚な人の影響を受けることで、無礼者の影響をなくすことができる。
この記事を読んでいるあなたは少なくとも無礼者ではないはずだ。そもそも無礼者はこの記事にはたどり着けない。
あなたは「誰かの助けになり」「誰かに助けられる」、個の時代を生きるにふさわしい人。個の時代に花を咲かせ、夢を現実のものと実らせることができる。
あなたの得意で人を助ける
損得勘定にとらわれず、あなたの得意とすることで人を助けていく。
けして見返りを求めないあなたの姿勢は人々の目に安心とやすらぎを与え、徳として積まれていく。
「なにが得意なのかわからない」そんな方も、好きなこと、心地の良いことを続ければ大丈夫。
体を動かすことが好きであれば、重たい荷物を持ってあげる。キレイ好きなら、落ちているゴミを拾う。こんな些細なことでもきっと誰かの助けになる。
プライドは捨て、素直になる
個の時代にプライドほど邪魔なものはない。
なぜなら、自分のわからないこと、できないことは素直にできる人に頼めばいいのだから。
そして、誰かに助けてもらったら、素直に「ありがとう」と伝えればいい。
プライドがあるばかりに横柄な態度になる。
プライドを捨て、素直になる、これが謙虚さの基本である。
礼節であれば人の輪が広がる
「礼を尽くす」「節度を持つ」
礼を尽くすとは、相手に対して全力で敬意を表すことで、節度とは、振る舞いの度が過ぎないこと。
ほどほどの距離感で、相手の尊厳を守る。そして感謝の気持ちを忘れない。
礼節なあなたの態度は相手から心地よく感じられ、あなたの力を必要とする人、あなたの力になりたい人が自然と周りに集まってくる。
これが個の時代に必要な横の繋がりとなる。
一人ではわずかな力だが、礼節を知れば自然と同じ志を持った人々が集まり、実を熟させる力となる。
個の時代だからこそ謙虚であれ
あなたは、謙虚な人か無礼な人、どちらの人を頼りたいですか?どちらの人を助けたいと思いますか?
「憎まれっ子世にはばかる」
このような時代は終わりを告げ、謙虚な人こそ必要とされる時代なのだ。
組織の時代は力にものを言わせ、上から押さえつける時代であった。個の時代はお互いを尊重しあい、手を取り合う時代である。
「個」と聞くと、わがままで自分勝手なイメージを持つ人もおられると思うが、実は今までの組織、集団よりはるかに人と人との繋がりが大切であり、これまで以上に仲間の力が必要になってくるのだ。
私たちはどういう在り方を目指すべきかは明確。
個の時代だからこそ謙虚であるべきなんだ。