会社、組織、そして社会に馴染めないすべての人へ。
その他大勢になることが適応と言うなら、ぼくたちは頭がおかしいと言われても社会不適合者であることを選ぶ。
「社会のルールや常識にどうしても馴染めない」
周りの人たちが意識することなく従っているルールに疑問が浮かび歩調が合わせられない。世間一般的に常識と呼ばれるものにもいちいち違和感を覚えて枠からはみ出してしまう。
良かれと思ってしたことがトラブルの種になって迷惑をかけてしまったり、変な正義感を出したばっかりに人間関係がひび割れて居場所がなくなったり、ちょっと調子に乗ればミスや失敗の連続。
こうして『社会不適合』の烙印を押されることに。
ぼくたちは、自分がほかの人たちとは違うことに気づいてます。だから「どうして自分だけうまくできないんだろう」と悩んでいます。
社会に適合できなかったら生きにくいのは確かです。社会の中では・・・ね・・・
それなら無理して社会に合わせる必要はない!
これがぼくの出した答えです。
「どんな人?」社会不適合者とは
不適合ってイヤな響きですよね。
世間一般的、それこそ社会の中では
- 協調性に欠けた人
- コミュ障の人
- 規則やルールを守れない人
周りの求める要求事項に満足に応えられなくて、みんなから「厄介者」「邪魔者」「変態」「クズ」「生ごみ」「人間失格」「無能」「出来損ない」と呼ばれる人たちのことです。
過激な人は「社会不適合者は〇ろしてしまった方が社会のためだ」なんて言ってます。(こんなブログを書いている人が本当に存在しています)
ホントひどいですよね。ぼくたちがなにか悪いことしました?
社会に馴染めないことを理由に、閉鎖的な村社会から疎外される社会不適合者ですが、ぼくの都合のいい解釈で社会不適合者を説明すると
社会の決められた規格に合わず、都合のいい歯車として機能しない人。独自の考え方を持ったマイノリティ(社会的少数者)で本質の見抜く洞察力がある人。
ポジティブ変換してみました。
「やってみて」社会不適合者診断テスト
ぼくが適当に作った診断テストです。
何個当てはまるか数えてみてね。
- できる限り人と関わりたくない
- ひとりが気楽
- 常識やルールを疑問に思う
- 特定のことにこだわりが強い
- 時間を拘束されるのが苦痛
- 失敗やミス、トラブルが多い
- 偉そうな態度の人が嫌い
- 質問の意図が理解できないときがある
- 会社員は向かないと思う
- 好きなことをして自由に生きたい
3個以上当てはまった人:おしい!社会不適合者予備軍です。
5個以上当てはまった人:おめでとう!社会不適合者です。
この社会不適合者診断テストは適当に作りましたが、強弱の違いはあれどあながち間違いではないと思います。
「どう見られてる?」社会不適合者7つの特徴
悪く言われがちの社会不適合者。
社会からどんな風に見られているかと言うと
- 「輪を乱すなよ」⇒集団行動が苦手
- 「無愛想だな」⇒人付き合いが苦手
- 「ちゃんとしろよ」⇒規則やルールが守れない
- 「ぜんぜん言うこときかねー」⇒頑固
- 「なに考えてるかわかんねーな」⇒自己開示ができない
- 「うわ、めんどくせ」⇒マイナス思考
- 「生きてて楽しいか?」⇒無関心
社会不適合者の烙印を押されただけあって、いいことは言われませんね。
それぞれの特徴すべてに当てはまる人もいれば、それぞれの特徴に強弱もあるかと思います。
社会人失格のような言われ方をしますが、ぼくたちは「しようと思ってしているわけじゃない」ですよね。
みんなとは仲良くしたいし、本当に必要だと思っているルールは守っているはずです。
「どれだけいる?」自分を社会不適合者と感じている人は約3割
10代~60代の男女1798名に調査した結果、29.1%の人が「自分は社会不適合者だと思う」と回答しています。
意外と多いですね!
社会不適合者と判断する正確な基準がないので、自分が「そう思うか・思わないか」だけなのですが、「生きにくい」と悩んでいる人が多いことがわかります。
「大多数の社会が正しいの?」実はまともな社会不適合者
実は社会不適合者のほうがまともだと思う今日この頃。
今の社会を作っているのは同調圧力です。
「なかよしクラブの輪を乱すヤツは出ていけ!」と、同じ者だけで社会を築き上げていこうとします。
同じ服を着て、同じ時間に、同じ電車に乗り、同じ苦痛を味わい安心する。ゴールデンウィークになればみんな一斉に高速道路に集まったり空港に集まったり、同じ目的地に向かって、同じ苦痛を味わい安心する。
変だと思うのはぼくだけ?
「みんなが同じ!はみ出すものは許さない!」といつも叫び、際限なくルールを作り、従わないものを排除していきます。
そんな社会が正しいと思いますか?
「みんないっしょ」は生きにくいディストピア
ディストピアとは、ユートピア(理想郷)の反対の意味。つまり、目指すべき理想とはまったく違う方向に進んでいるということ。
一人ひとりが違うことは当たり前ですよね。
そんな違う一人ひとりが集まって形成されるのが社会であり、それぞれを認め合うのが社会であると思うのですよ。
でもね、多様性を認めることが大切だとか、個性が大切だとか、そんなことを言いながらも学校教育の時点から「みんないっしょ」が重んじられていますよね。
際限なくルールを作ってみんなの個性を潰していく社会なんて、生きにくいディストピアだと思います。
今、社会に適合している人たちも、「次のルールができれば烙印を押されるかも」と怯えているかもしれないし、「みんないっしょ」に洗脳されて思考停止しているかもしれない。
どちらにしても意図的に「社会不適合者」を作り上げることによって、普通の人が「オレじゃなくて良かった」と安心しているだけの社会だと感じます。
分業社会から競争社会へ「社会不適合者は競争から降りた人」
昔の社会は、それぞれの得意を持ち寄って形成されていました。
たとえば
森に集まる人々が社会を作り、狩りを生活していました。その人々の中には
- 狩りが得意な人
- 弓矢作りが得意な人
- 山菜取りが得意な人
- 料理が得意な人
- 計画を立てるのが得意な人
- 人をまとめるのが得意な人
- 傷の手当が得意な人
- 子育てが得意な人
- 動物の世話が好きな人
- 家や船を作るのが得意な人
ほんとうに様々な得意が集まっていました。そこに優劣はありませんし、みんなが認め合って生きていました。
個性を活かして得意を持ち寄る。だから最大の成果が得られる。これが分業です。
今の日本社会はどうでしょうか?
みんないっしょと言いながら、腹の内は「オレのほうが上だ」「あんなヤツに負けるなんて悔しい」「蹴落としてでも上がってやる」と競争に必死になっています。
だから、自分の得意は隠し持ち、苦手なことは誰かを利用してやらせ、手柄は独り占めにします。
こんなんでは足の引っ張り合いで、平均以上の成果なんて望めないのは当然。
社会不適合者のぼくたちは、競争に意味を感じません。
ぼくたちはただ、自分の得意分野で淡々と役目を果たしたいだけ。
だから、競争なんてどうでもいいのです。
息苦しさの正体に気がついた社会不適合者
満員電車にしても、連休の渋滞にしても、人間関係の理不尽さや世間体にしても、意味のないルールや無駄な会議にしても、違和感を覚えたときから洗脳が解けて思考が始まりました。
社会不適合者が生きにくいと感じるのは、社会の闇である息苦しさの正体に気づいてしまったからです。
苦しさ、生きにくさの正体は「他人の軸」で生きているからです。
「みんないっしょ」も他人の軸です。
でも、ぼくたちは正体に気づいたからと言って、対処法を知っているわけではありませんでした。
なぜなら、ぼくたちは社会の呪縛から逃れられないと思っているからです。そして、これもまた「みんないっしょ」の洗脳だと言えるでしょう。
今の社会に順応していると思っている普通の人たちは、なんの違和感も覚えない思考停止に陥っています。
なんの違和感も覚えないことは、ある意味幸せかもしれませんね。
だけど、ぼくたちは気がついてしまいました。
この苦しみから解放されるためには、小さなころから受けてきた洗脳を解かなくてはいけません。
社会に適合しないという新しい生き方
社会に適合しない、社会から排除された、そんな社会にしがみついたって楽しいわけない!
べつに社会にケンカを売りたいわけじゃない、社会から抜け出そうとも思わない。
だけど、社会に居場所がないのなら、自分たちで居場所を作ればいいだけの話。
競争社会じゃなく、だれもが生きやすい分業社会を。
社会不適合者と呼ばれるぼくたちは、確かにできないことも多いかもしれない。でも、だれよりも飛び抜けた得意はあるはず。
ぼくたちは、クズでも甘えでもない。
ただ、適性を見失っていただけだったんだ。
強みは社会に適合しないこと
ぼくが社会不適合者をポジティブ変換したのを覚えていますか?
社会の決められた規格に合わず、都合のいい歯車として機能しない人。独自の考え方を持ったマイノリティ(社会的少数者)で本質の見抜く洞察力がある人。
社会不適合者から見た世界は、普通の人が見ている世界とは異なり、とても異質なものに見えているはずです。
満員電車にしても、連休の渋滞にしても、スポーツのミーハー的な盛り上がりにしても、いつも「なんで?」と思っていますよね。
確かに人付き合いも苦手、規則やルールも守れない、頑固でマイナス思考で無関心。だけど、社会不適合者は冷静に客観的に社会を見渡すことができます。
要は、「みんないっしょ」に惑わされない力が備わっていると言ってもいいでしょう。
ぼくたちを必要としている場所は必ずある
ぼくの出した答えは、「無理して社会に適合する必要はない」です。
ですが、社会の中にはぼくたちを必要としてくれている場所は必ずあります。
普通の人なら社会に飛び込んでもうまくこなせていけるでしょう。
でもぼくたちはそうはいきません。
なんせ社会不適合者ですから。
ぼくたちは自分で自分に合う場所を探さなければなりません。
ただ、闇雲に探しても見つけるのは困難。
なので、ぼくたちは一番に『自分の適性』を知ることが大切なのです。
適性については、下の参考記事で詳しく解説しています。
参考記事:【我慢のリスク】仕事がつらいのは当たり前じゃない|適性で取り戻すワクワクする人生
【まとめ】ぼくたちが社会不適合者ではなく、社会が適合できていないのだ
会社、組織、そして社会に馴染めないすべての人へ。
その他大勢になることが適応と言うなら、ぼくたちは頭がおかしいと言われても社会不適合者であることを選ぶ。
なぜなら、ぼくたちが社会不適合者ではなく、社会がぼくたちに適合できていないからだ!
そのうちぼくたちに時代は追いついてくる。
その時がくればぼくたちは新しい生き方のパイオニアとなる。
こんな生き方も悪くない。
なんか、まとまらない話になったけど、「ぼくたちの生き方は間違っていなかった」と、そんな時がきっと来るはずです。
時代はいつも「社会不適合者」が創ってきたのだから。
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