「苦しみの壁」あなたで在るために、己を壊せ

苦しみはどこからやって来るのか?

どこでもない。でも確かに、そして静かに苦しみの中にいた。

しかし、かつての苦しみは、もう、ここにはない。私は耐え抜いたわけでもなく、逃げ出したわけでもなく、ただただ己を壊したのだ。

あなたはかつての私のように「自分らしくありたい」と願い、苦しみの中にいる。

人は生きていく過程で「3つの壁」を己に創り上げ、そこに閉じこもろうとする。その壁の中は空気が淀み、腐敗臭が満ちている。そう、己の腐った臭いだ。

腐敗の痛み、そして強烈な臭いを感じている。苦しみを今ここに感じているあなたは、まだ救われるかもしれない。中には、腐敗が進み、痛みも臭いも麻痺してしまった人もいる。己を腐敗させ、麻痺して生きていくのもひとつの生き方かもしれない。

だが、私には我慢ならなかった。

私は十何年も苦しみに耐え「いつかは楽になるだろう」と我慢してきた。そして「うつ状態」に陥ったのだ。投薬治療、自宅療養のすえ、曲がりなりにも回復したが、やはり腐敗の苦しみから解放されることはなかった。

それから3年、暇を見つけては、心理学、哲学、量子力学、風水学、宗教学、そしてスピリチュアルに至るまで本を読み漁り、「苦しみとはなにか」「幸せとはなにか」「自分の生き方とはなにか」を探し続けた。

そして現在、学知利行の半ばではあるが、私たちを苦しめていた3つの壁の存在が見えてきた。

私はわたしで在るために、己が創り上げた3つの苦しみの壁を破壊した。そして、

「かつての苦しみは、もう、ここにはない」

私にもできたのだから、あなたにも3つの苦の壁を壊すことは必ずできる。ほんの少しの勇気さえあれば。

腐敗の苦しみから解放されるなら、造作もないこと。

ただ私にはあなたの壁を壊すことはできない。あなたがあなたで在るためには、あなた自身が己を壊すことが不可欠だからだ。

この記事では、いかに人間が3つの壁に囚われているか、なぜあなた自身が己を壊すことが重要なのか、そして、あなたで在るためにはどうすればよいかを私の経験に基づき、実践に落とし込める形でお話する。

私はあなたの友人として、あなたが一歩を踏み出せる勇気を与えたい。

「あなたがあなたで在るために」

目次

私たちは何者でもない

「私たちは何者でもない」

この言葉は、この記事でお話するすべてのことに関わる重要なキー概念となる。

「私たちの意識はどこから来たのか、そして、どこに返るのだろうか」

物心ついたときには他者の存在により、自分というものを認識するようになる。大人になるにつれて、自分と他者の境界線がハッキリとし、他者と比べて「自分は何者か」と存在する意味を見出そうとする。

だが、私はちは何者でもないのだ。

自分の意思で生まれてはこない

自分の意思でこの世に生を受けたものなど何ひとつ存在しない。

私たちは私として生まれてきたのではなく、「因」によってこの世に存在し、「縁」によって形成された存在である。

「因」とは原因、「縁」とは条件のこと。

私たちは、ずっと遥か昔から続く命の継承、すなわち「因」によって肉体を与えられ、両親や兄弟、友人、育った環境などたくさんの「縁」によって意識を与えられた。

だから私たちの「私」という肉体や意識は、「私」の意思では存在し得ないものなのだ。

よく「自分探し」と耳にするが、最初から自分というものは「ない」のだから探しようがない。

そもそも「自分」というものが存在していると思い込んでいる人間が浅はかであり、自惚れなのかも知れない。

私たちは「私」の生にも死にも関与できないのだから。

「あなたはどんな人?」の答えは空の集まり

「あなたはどんな人ですか?」と聞かれたとき、どう答えるだろうか。

  • 山田太郎と申します。39歳です。
  • 〇○商事で営業をしています。
  • 埼玉に住んでいて、趣味はゴルフです。
  • 4人家族で2人の子どもがいます。
  • 少し内気な性格ですが、誰とでも仲良くできます。

大抵の人はこのような無難な回答をする。しかし、この回答が「あなた」だとすると、ひとつでも条件が変われば違うあなたになってしまう。これは周りの事象があなたを形成していることであり、あなたが何者かの定義にはならない。ただあなたは、あなたの周りに起こっている事象を説明しているに過ぎないのだ。

あなたを形成している事象を一つひとつ取り除いていく、さらにあなたを構成している肉体を原子レベルまで分解していくと、あなたは実体のない「空(くう)」となる。

これは仏教の「色即是空」の概念である。

「色」とは宇宙に存在するすべての事物や現象のことであり、「空」とは万物はいつも流転し、変化・消滅がたえないことである。空と無を混同しがちだが、空は存在するが実体がないこと、無はなにもないことである。

つまりあなたは、刻一刻と変化する空の集まりで形成されるものであり、捉えようのないものだということだ。

すべてはひとつのエレルギー

宇宙に存在しうるすべてのモノ、コト、現象は、ひとつに繋がっている。あなたの体も意識も。そして、時間も空間も過去も未来も。

私たちをひとつに繋げているのは、何もないのにエネルギーに満ちた場「ゼロポイントフィールド」というもの。

これの話は決して「宗教的」でも「スピリチュアル的」でもない。歴とした科学「量子力学」である。

宇宙の起源は138億年前。ゼロポイントフィールドを1点に閉じ込めた量子真空がゆらぎ、閉じ込められたエネルギーが急激に膨れ上がり、膨大な熱エネルギーの爆発「ビッグバン」によって宇宙は始まった。

ゼロポイントフィールドはひとつの巨大な意識エネルギーであり、このエネルギーが物質化したものが惑星であり、空気であり、水であり、土であり、植物であり、そして人間でもある。

不思議なことに、宗教やスピリチュアルも含め、学問と呼ばれるものも最終的には量子力学で言う「ゼロポイントフィールド」にたどり着く。

例えば、宗教で言うところの「神」、スピリチュアルで言うところの「魂」、心理学で言うところの「潜在意識」がこれにあたる。

そう、私たちが知りうるすべてのものは、1つのゼロポイントフィールドの意思によって作られ繋がっている。つまり、姿かたちは違っても、すべてはひとつのエネルギーなのだ。

3つの壁

私たちは何者でもない。これが重要なキー概念であると述べた。

私たちが苦しむ理由は「自分」という存在を確立しようとするからである。

「苦しみの壁」は共同体の中において、自分と他者を区別するために自分の意思で創り上げていくものである。しかし、前章でお話したとおり、私たちは生死に関与することもなく、刻一刻と変化する捉えようのない存在であり、すべてひとつのエネルギーであるからして、他者との区別どころか、モノ、コト、現象などと区別することはできない。

巨大なひとつの意思エネルギーに生かされている私たちは、このエネルギーの意に抗うことはできない。よって、意思エネルギーを遮断する壁は、苦しみそのものとなる。

これから「苦しみの壁」3つを掘り下げてお話していく。「私たちは何者でもない」ことを念頭に置き聴いてほしい。

自我(エゴ)の壁

競争原理が生み出すもの

誰もが社会に触れていくうちに、自分の存在に気づく。これを日本語では「自我の目覚め」と言ったりする。

この記事で言う自我(エゴ)とは、エゴイスト(利己主義者)に近いものであり、他者の利益など考えもせず、もっぱら「自分」を中心に思考や行動を行うさまのこと。

今の世の中は「競争原理」の上に成り立っている。さまざまなところで競争が行われ、その中で優位にいる者が成功者として地位や財産を得られる仕組みである。

世の中にある資源には限りがあり、競争原理の社会に身を投じれば、当然の如く「奪い合い」になる。少しでも裕福な生活を送ろうと思えば、この奪い合いに勝たなくてはならない。

人は奪い合いの中で自らの地位、財産を得るため、そして守るため、自我(エゴ)の壁を創り上げる。

どうすれば自分の利益に繋がるかを考え、他者を始めとしたモノ・コト・現象をコントロールしようとし、自分の利益のために搾取を始める。思い通りにならないときは自分以外に原因を求め、不満になり、怒りという感情を抱く。

さらにその怒りは外側へ向き、足の引っ張り合いや責任転嫁といった「他者を蹴落として上がる」攻撃性に変化していく。もはやそこには正当な競争などなく、不正や嘘、権力支配など不透明で淀んだ空気が充満している。

競争原理とは「そう言うものだ」と言ってしまえばそうなのかもしれない。

しかし「それで幸せか?」と聞くまでもないだろう。

醜いの自画像

私たちは、周りの事象によって形成されている。

つまり、周りに対して行った「搾取」「他者を蹴落とす」「不正・嘘」「権力支配」などの行為は自らを形成する事象となり、自らを腐敗させていく。

他者を蹴落とせば、自分も蹴落とされないか不安になる。他者を力で支配すれば、自分も支配される恐怖を感じる。自分が不正を働けば、他者の目線が気になり監視をはじめ、自分が嘘を吐けば、他者に嘘をつかれているのではないかと疑心暗鬼になる。

周りの事象は自らを映し出す鏡だ。その鏡を見て自画像でも描いてみるといいだろう。きっと不安と恐怖に満ちた醜い自画像になる。

世の中は「因果応報」であり、自分の行った行為は時間を経て形を変え、同じエネルギーとして自分に戻ってくる。

他者を信頼できない者が、どうして他者から信頼を得ることができようか。他者を尊敬しない者が、どうして他者から尊敬されることができようか。自分のことしか考えられない者が、どうして他者から与えられるものだろうか。

信頼と尊敬は私たちに集まるエネルギーそのものであり、自我(エゴ)はそのエネルギーを遮断する壁である。

信頼や尊敬は自我(エゴ)の壁の中には存在しない。あるのは壁に飾られた一枚の醜い自画像だけだ。

プライドの壁

虚栄心の堆積

プライドとは弱さの表れである。

プライドの高い人間は「負けたくない」「舐められたくない」という気持ちを常に持ち続けている。これは潜在意識の中で自分の弱さを認めている証拠でもある。

ただの「負けず嫌いなのでは?」と思うかもしれないが、負けず嫌いとは優劣を気にしていることであり、「負けたくない」とは裏を返せば「負けている」ということになる。また「舐められたくない」とは、裏を返せば「舐められている」と思っているか、はたまた舐められる要素が自身の中にあると思っていることになる。

要は、潜在意識の中に「劣等感」を持っているということだ。

プライドは潜在意識にある劣等感を他者から覆い隠すための壁であり、主な成分は自分を実質以上に大きく見せたい気持ち「虚栄心」である。

虚栄心は、潜在意識にある劣等感を顕在意識として表面化させたもので、代表的な例が「見栄を張る」「虚勢を張る」である。

もちろん見栄も虚勢も、実態のない見せかけだけの「ただの生ゴミ」にすぎない。この生ゴミが堆積したものがプライドの壁なのだ。

臭いものには蓋を

プライドという積み上げられた生ゴミの壁は日に日に高く、厚くなっていく。

プライドの高い人間はプライドが高いが故に、たとえ生ゴミだとわかっていても「今さら本当の自分(弱い自分)をさらけ出す」勇気がない。だから捨てることができない。そして、また一つ、また一つと虚栄心が生まれ壁を積み上げていく。

周りにいる者は臭くてたまらないから、生ゴミを取り除こうと試みる。しかし、本人はそれを許さない。

だれが見ても生ゴミであるにも関わらず、本人にとってしてみれば大切なプライドの壁ということだ。だから他者が取り除こうとすれば「プライドが傷つけられた!」と怒り出す。

本人以外は手が付けられない。周りにいる者は離れていく。

虚栄心による嘘は、時間によって定着する。「見栄を張る自分」も「虚勢を張る自分」も本当の自分として潜在意識に刻み込まれる。

常識の壁

魂を押し込める囲い

常識もまた、目に見えないもの。だが私たちはこの常識の壁に囲まれた中に生きている。

人は誰しも個性を持って生まれてくる。好きなこと、得意なことはもちろん違うし、考え方も目に映る景色も違う。

私とあなたは当然のごとく同じではないことは知っている。しかし、知っているはずにもかかわらず、「こうでなくてはならない」と一括りにしようとする常識には無理がある。

常識は不変のものではないが、その形は私たちにはコントロールすることはできない。だから、常識の囲いに囚われると私たちがその形に合わせるしかない。

私たちは何者でもなく、刻一刻と変化する空の集まりで形成されるものであり、捉えようのないものである。

なのに、常識の壁の中に押し込められ、勝手に形を決められてしまえば苦しいのも当然である。

同調圧力による個の排除

競争原理の搾取構造は、個性を潰し歯車として役割を与える「標準化」というものがある。

標準化は徹底的に個の能力を排除し、支配者が作り上げた常識の壁の中で回り続ける。この常識の壁の中では「みんないっしょがいい」「人と違うことはいけない」と教えられる。

狭い壁の中で、お互いがお互いを監視し始め、少しでも常識から外れる「違反的行為」をすれば同調圧力によって排除される。

人は集団で生活する生き物だから、常識の中で「村八分」にされることを恐れる。

だから、なるべく個性を押し殺して歯車になろうと努力する。この努力が長年つづくと人はみな「思考停止」に陥り、さらに常識の壁は厚く高くなり、同調圧力はますます強くなっていく。

常識による同調圧力は不平不満を生み出す原因となるのだが、思考停止しているがゆえに気が付かない。

漠然とした違和感を感じながら、歯車として搾取され続ける。

己を壊す

何者かを演じる必要はない。

私たちは生まれながらにして「今ここに在る」だけの存在である。

無理に「自分が何者であるか」とか「自分らしさとはなにか」を結論付けようとすれば苦しみの壁が現れる。

冒頭でもお話したとおり、私はあなたの壁を壊すことはできない。なぜなら、これまでお話してきた3つの壁は、あなたが創り上げた虚像にすぎないのだから。

だからあなた自身の手で壊すしかない。

ムダをそぎ落としてシンプルになる

私たちは生きている中で人間関係や物事といったしがらみに囚われ、自分の存在を見失っている。

あなたがまずすることは、徹底的に人間関係を整理してムダをそぎ落とすこと。

人間関係を整理すると言ったら聞こえは悪いかもしれない。しかし、3つの壁の正体は「自分」と「他者」の対人関係である。

「嫌われる勇気」で有名な精神科医、心理学者のアルフレッド・アドラーは「すべての悩みは対人関係の悩みである」と言い切っている。

私たちが苦しむ原因も対人関係にある。対人関係があるから3つの壁ができあがる。3つの壁がさらに私たちを苦しめる要因となる。

ならば対人関係を整理すればいい。

重要なのは「だれと付き合うか」ではなく、「だれと付き合わないか」である。

人は誰しも合う合わないはある。あなたがイヤな思いをしたり、あなたを利用するだけの人間といつまでも付き合っていても、時間がムダになるばかりだ。

あなたの時間には限りがある。その限られた時間をイヤな人に使うのはやめよう。あなたの大切な時間は、本当に大切な人のために使うほうが、あなたも大切な人も幸せになれるのだから。

ダメな自分を受け入れる

私はかつて完璧主義であった。いまもその癖は抜け切れていないが、だいぶマシになったほうだ。

なにもかも完璧を追い求めると苦しくなる。

人は完璧ではない。完璧主義はこんな当たり前のことでさえわからなくなる。

自分のダメなところも含めて「自分なんだ」と、素直に受け入れることさえできれば「自分の在り方」が見えてくる。

できないことは人を頼ればいい、自分が得意なことは率先してやればいい。そうすれば素直に自分を認めることができ、他者を尊重することができる。ここに3つの壁は必要ない。

多様な価値観に触れる

3つの壁の中にいると、価値観が固着する。

自我(エゴ)の壁、プライドの壁、常識の壁、この3つの壁は、多種多様な価値観を認めない方向に作用する。

「世の中にはいろいろな価値観があるんだ」と認識することが大切である。

そのためには、たくさんの人と出会うことが手っ取り早いが、なかなかそうもいかない。なので、読書をおすすめする。

私もうつ状態から回復したあと、読書を始めた。

本の中には今までの固着した概念をくつがえすような世界がある。時間はかかると思うが、確実に自分の周りの壁を破壊することができるだろう。

ただあなたで在る

私たちは何者でもない。しかし、何者でもないが確かに今ここに在る。

すべては姿かたちは違えど、すべてはひとつのエネルギー。壁で遮断することなかれ。すべては繋がっているのだから。

「かつての苦しみは、もう、ここにはない」

あなたにもそう言える明日がくることを願っている。

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