なにをもって幸せか不幸かは、人によって基準が異なる。
自分の基準に照らし合わせて「自分は幸せ」だと思えば幸せであり、「自分は不幸」だと思えば不幸である。
一見すると不幸そうな人でも実は幸せかもしれない。逆に幸せそうに見える人でも実は不幸かもしれない。
そう、幸せとは他人が決めるものではなく、すべてその本人の基準で決まるのである。
しかし日本人の多くは他人の基準で幸せを測っている。
例えば
- となりの家はいい車に乗っている
- 同期のあいつより出世が遅い
- 周りの友達はみんな結婚している
- 日本人の平均年収より低い
- 連休に家族で旅行に行けるヤツがうらやましい
など例をあげればキリがないほど、自分と他人を比べて幸せの度合いを測っている。
テレビを見ても、SNSを見ても、となり近所や友達を見ても、目に付くのは「他人のキラキラ」ばかり。
だから他人と比べて自分は劣っているから不幸だと思ってしまう。
あなたに一つ問う。
「他人のキラキラをいくつ手に入れたら、あなたは幸せですか?」
今回この記事では、今まで他人のキラキラを基準に幸せを測ってきたあなたの考え方を、自分基準の考え方に修正していく方法をお話していく。
他人のキラキラの正体は見栄である
いい車に乗っている、いい家に住んでいる、ブランドのバッグを持っている。
他人がキラキラと見える部分の多くは見栄でしかない。
私たちはそんな他人の見栄に憧れたり、羨ましく思ったりする。
しかしキラキラと輝いている裏側はどうなっているのだろう。
ほんとうにアルファードが必要なのか?
国産車の中でも最高級ミニバンのアルファード。
低いグレードでも軽く400万円はする高級車、確かにかっこいいし、いい車の代表格である。
私は田舎町に住んでいるが、普通の家にアルファードが停まっている光景をよく目にする。
「ほんとうにアルファードが必要なのか?」
家族が多い、荷物をたくさん載せる、そしてお金持ちなら買ってもいいだろう。
だが大抵の家は普通の年収であると思える。
家族が多くても、荷物を載せる機会が多くても、その機能を果たせる車はアルファードでなくてもいくらでもある。
購入価格が高い、燃費が悪い、税金が高い、こんなアルファードを普通のサラリーマンの家庭が持つ理由はただ一つ、見栄でしかない。
アルファードを見て「いいな~」「うらやましいな~」と思うのは間違いである。
そのキラキラの裏側は「ローンはいつになったら終わるのだろうか」「毎月の燃料代がキツイ」「自動車税が払えない」など真っ暗なのである。
私は高級車にお金を持っていかれるなんて真っ平ごめんだ。
インスタのキラキラは一瞬の切り取り
インスタにハマって借金をする人が増加中。
インスタを見ると「おいしそうなスイーツ」「オシャレなブランド」「楽しそうな旅行」など、キラキラのオンパレードである。
こんなキラキラ投稿を見て「自分はなんて地味な生活をしているのだろう」と、情けなさにも似た嫉妬を感じる人は多いのではないだろうか。
しかしインスタのキラキラ投稿は見栄の象徴。
キラキラ投稿をする人は実は普通の人である。
仕事で稼いだお金をすべて見栄のために使って「いいね!」を集めたい。たくさんの「いいね!」がつくとそれが快感となり「自分は幸せ」だと錯覚に陥る。
そしてどんどん泥沼にハマっていくのだ。
キラキラ投稿のために借金をしている人も少なくないと聞く。
あなたはこの事実を聞いて「キラキラ投稿」が羨ましく思えるだろうか。
一瞬の写真のために給料をつぎ込み借金までする投稿者より、羨ましく思っているあなたの方がよっぽど幸せなのである。
そもそも幸せは物質的なものでは得られない
欲しい物を手に入れたい欲は誰にでもある。
だが物を手に入れて味わえる幸せなんて一瞬にすぎない。買うという行為や買った物が手に届くまでの時間がワクワクドキドキして楽しくて幸せだと感じるが、手にした瞬間から冷めていく。
やはり物は道具でしかない。
趣味が車だったり何かのコレクションなら別だが、ブランドのバッグや時計などはそれを身につけている自分を認めてもらいたいと思う「承認欲求」でしかないのである。
人が見て羨ましがったりするのも一瞬。
物質的なもので幸せを維持しようと思えば、常に新しい物、今よりもっと高い物を手に入れ続けなければならない。
こうなると幸せどころか物に苦しめられ、幸せはどんどん遠ざかっていくのである。
だから「物=幸せ」ではないのだ。
幸せとは「誰かを幸せにしたい」と想う心
幸せとはあなたの大切な人の笑顔、あなたを必要としてくれる人の笑顔であると言っても過言ではない。
今、思い浮かべてほしい。あなたの大切な人の笑顔を。
心が温かくなったであろう。
これが幸せである。
誰かを幸せにしたいと想う心があなたが幸せにしてくれるのである。ここに欲が付け入る隙などない。
大切な誰かを幸せにしたいのならあなたが幸せであれ
「大切なあの人を幸せにしたい」
この気持ちが生まれるのはあなたが幸せである証拠。この時のあなたは穏やかで優しい顔をしているであろう。
もし、あなたがいつもしかめっ面で眉間にシワを寄せていたら大切な人は笑顔を向けてくれるだろうか。もし、あなたが苦しんでいたら大切な人はどう思うであろうか。
あなたが不幸と感じているのであれば誰も幸せにすることなどできない。
大切な人の幸せを願うのであれば、まずはあなたが幸せでいることが大切なのである。
心の余白が幸せを生む
イライラしている時、焦っている時、不安や恐怖、嫉妬など心に余裕のない状態であれば、幸せだと感じる人間はいない。誰かを幸せにしたいなどと思わない。
簡単に言えばこの心理状態が不幸の正体である。
この心理状態は冒頭でもお話したとおり、他人を基準にしてあなたがブレているから陥るのである。
他人を基準にして不幸な心理状態で心がいっぱいであれば幸せが生まれるはずがない。
幸せを生み出すためには心の余白が必要不可欠である。
要は幸せになる考え方とは、あなたの余白を作り出す考え方なのである。
余白を作り出す「絶対的自分基準の思考法」
他人と比べても幸せは得られない。
いくらブランド物を持ったとしても幸せを感じられない。
今までさんざんお話したが、承認欲求や所有欲を満たしたところで幸せにはなれない。
自分の基準に照らし合わせて「自分は幸せ」だと思えば幸せであり、「自分は不幸」だと思えば不幸である。
ただそれだけのこと。
これから他人基準から自分基準に修正していき、心に余白を作り出す思考法をお話する。
自分がコントロールできないことは放っておく
世の中の事象には「自分でコントロールできること」と「自分ではコントロールできないこと」の2つに分けられる。
例えば「今日の晩ご飯はなにを食べるか」は自分でコントロールができるが、「気になるあの女性の気持ち」はコントロールできない。
大抵の悩みは自分でコントロールできない「他人主導」の事象で発生する。
そもそも論として他人はコントロール不能である。いくら自分の部下であっても、いくら自分の子どもであってもあなたの思い通りには動かない。
どんなに心配しても、どんなに不安になっても、あなたにコントロールできないことはあなたにはどうすることもできないのだから悩むだけ時間のムダである。
あれこれ悩む時間があるのなら、自分でコントロールできることに時間を使ったほうが有意義である。
「人知を尽くして天命を待つ」
自分にできることを精一杯やり尽くした上で、自分にはどうすることもできないことは放っておけばいい。
放っておく力が身に付けば、それだけ自分の中に余白が生まれるのである。
常に「本当に必要か?」を考える、そして欲を手放す
何かが欲しくなることは誰にでもある。そしていい物が欲しくなる。
そしてみんなに自慢できる高価なものを手に入れて苦労するのである。
手に入れたあとに気がつくが、ここまで高価でなくても良かったなと思う。その物の機能を果たすだけなら高価でなくても十分である。
欲しいものを手に入れるまでは熱が上がり、手に入れた瞬間から急激に冷め始める。
何かを手に入れたいと感じたとき、まずは「本当に必要か?」を考える。
これの考え方ができるようになると物欲だけではなく、嫉妬からくる執着心などの欲を手放すことができるようになる。
欲を手放せば欲に支配されることがなくなり、あなたにとって本当に必要なものが見えてくるのである。
他人のお願いは60点、自分の楽しいことは100点を目指す
「他人からのお願い事を断れない」
こんな人も多いのではないだろうか。
自分の余白を作り出すためには他人からのお願い事は断るのが一番であるが、なかなか人からのお願い事を断るのは難しい。
ではどうするか。
他人からのお願い事は「60点」で仕上げ、さっさと相手に返してしまおう。
そもそも相手の期待にあなたが応える義務はない。
あなたの中で100点を目指してもその相手にはそこまでのことは必要ないかもしれないし、そもそも100点を取ることは容易ではない。
しかしあなたの実力のうち、60点ぐらいなら簡単にできてしまうのではないだろうか。
他人のために時間をさくことをやめれば自分のために使える時間が増える。
どうせなら自分の楽しいと思えることにどんどん時間を使っていこう。そして自分の楽しいと思えることは100点を目指す。
時間は有限だ。自分のために時間を使ったほうが間違いなく幸せになれる。
他人目線から見た「自分磨き」はやめる
自分磨きとよく聞くが、それは本当に自分を磨いているのか?
ほとんどの人は自分磨きと言いながら、他人の目線から見た自分がいかに「かっこよく映るか」「かわいく映るか」、その程度である。
結局、他人の基準で自分を見ているにすぎない。
いくらいい服を着てもいくら美容にお金をかけても、多くの他人はあなたのことになど興味がない。
だから自意識過剰な自分磨きはなんの役にもたたないのである。
そんな見た目にお金と時間をかけるぐらいなら、1冊でも多くの本を読んだほうがいい。1本でも多くの映画を見たほうがいい。
本当の自分磨きとは表面ではなく、内面を豊かにする考え方である。
より多くの価値観を得て視野を広げる。そして多様性を認めていくことが大切だ。
狭い知見では幸せの幅も狭くなる。自分の知見を広げれば、より広くの幸せを感じ取ることができるようになるのである。
始めるより辞める
目標を持ったとき、なにかを始める人が圧倒的に多い。
「始めるより辞める」
この考え方ができるようになれば、周りの他人より確実に目標に近づける。
なぜなら今までやってきたことにプラスしてなにかを始めようとしても時間も心もいっぱいいっぱいで、やることが増えればあなたの力はそれぞれに分散していく。
これでは新しいことを始めても中途半端になり、挫折する可能性が高くなるからだ。
失敗はいくらしてもいいが、挫折してしまえばそこで終わり。
挫折をくり返す人生はとても幸せだとは言えない。
だからなにかを始める前には「なにかを辞める勇気」を持って、いらないものはどんどん捨てていこう。
1つ始めるなら2つ辞めるぐらいがちょうどいい。
自分にも他人にも期待しない
他人の期待に応えないことで自分の余白を作り出す。これと同じで「自分に期待しない」「他人に期待しない」ことで心の余白を作り出すことができる。
そもそも期待とは一方的な感情であり、なにかに期待する気持ちは「見返りを求めていること」と同じである。
見返りを求めた瞬間から主導権は相手に握られる。
要は自分の期待どおりになるか、ならないかは相手に委ねられるのである。
「他人はコントロール不能である」
他人に期待してしまうと「自分の思ったとおりにやってくれるか」と不安になるし、期待した結果が返ってこないときは落胆してしまう。なかには怒る人もいるだろう。
そして期待どおりになるまで相手をコントロールしようと執着してしまうのである。
自分に期待してしまう場合は、相手が自分なだけに「自分の期待に応えるためにムリをしてしまう」ことが往々にしてある。
自分の期待に自分が応えられなかった場合、挫折してしまい諦めてしまう原因となる。
諦め癖がつくと「自分はなにをしてもダメだから」と楽しいことさえも挑戦できなくなる。
だから他人の期待に応えないと同時に、自分にも他人にも期待しないことが大切である。
他人は他人、自分は自分
あなたと他人とでは価値観が違う。だから幸せの基準もまったく違う。
しかし多くの人は自分と他人を比べて優劣をつけ、それを幸せの基準としてしまうのである。
これまでお話した「絶対的自分基準の思考法」を身につけることができれば、承認欲求や依存心、執着や嫉妬などを手放し心の中に余白を作り出すことができる。
心の余白とは簡単に言えば「時間」「お金」「感情」の余裕である。
この心の余白をあなたの幸せのために使い、まずはあなたが幸せになろう。
そして大切なあの人の笑顔に変えていこう。
「他人は他人、自分は自分」
考え方を変えればあなたは絶対に幸せになれるのだから。
「幸せは常に自分の中にある」
<楽しいとはなにか?考えたことありますか?」