日本人の建前社会に疑問を持つ人も多いだろう。
私もそのうちの一人。
社会人になりたての頃、建前というものが理解できずに苦しんだ記憶がある。
もう社会に出てから20数年、何となく違和感を感じながらもすっかり建前社会に支配されていた。
最近、「効率化・生産性の向上」とよく耳にするようになり、建前社会の息苦しさを思い出す。
「建前を前提とした効率化・生産性って矛盾するよな・・・」
そう、私がずっと抱えていた違和感は「建前社会の矛盾」だったのだ。
常識やルールという建前はムダを生む
「常識ではこう」「ルールではこう」
常識やルールの下にある建前を前提とした場合、省略したり、ショートカットできるようなことでも「常識だから」「ルールだから」と言った大義名分によってムダが生まれる。
ほとんどの人は、この常識やルールに疑問を持たない。
なぜなら、常識やルールに則った建前は揺るぎないものとして、頭の中に刻み込まれているからなのである。
だから普通に考えれば非効率なことでも、それが当たり前となっている。
心の中で「これってムダだよな」と思うならまだマシで、完全に建前社会に飲み込まれている人たちは何も思わない「思考停止」に陥っている場合が多い。
思考停止してしまうとムダをムダだと思わない、中には「必要なムダもある」なんて言い始める始末。
このような思考停止した人が多いのだから、建前はなくならず、ムダが減るどころか増えていく一方である。
建前に沿ったキレイ事が勝つ
本音なんかどうでもいい。
常識的な建前に沿ったキレイな言葉を並べておけば、だれも文句は言わないし、レールの上を真っ直ぐ進むことができる。
日本は縦社会だ。
本音をぶちまけてレールから下ろされるよりも、いかに忖度して早く次の駅に到着できるかが重要。
それに建前に沿って行動していれば、何かトラブルがあった場合でも責任逃れが容易になる。上にも迷惑が掛からない。
ことなかれ主義の日本人には、建前がしっくりくるのであろう。
結局、本音を口にするものは淘汰され、建前を重んじるものが勝つ社会なのである。
建前社会は物事の本質を見失わせる
昭和の時代、経済成長を遂げるためには、建前社会が必要であった。
大量生産大量消費の経済成長真っ只中、個人の本音なんかどうでもよく、国のために企業のために働くことが当たり前であった。
しかし時代は変化する。
「諸行無常」の言葉どおり、この世のすべての事象は絶えず変化し続け、同じ状態を保つことはない。だがなぜか、建前だけは留まろうとする。
本当は平成の30年で建前社会を消滅させるべきであった。
しかし、既得権益を守ろうとする支配層の力で、搾取構造として建前社会が残されたのである。
これにより、本質と建前が大きくかけ離れ、建前だけが一人歩きをし、搾取される側の人間が本質を見失った。いや、本質が見えないように隠されたといっても過言ではない。
風の時代、本音と建前の間に亀裂が入り二極化を迎える
今は本音と建前が入り混じる混沌とした時代。
いずれ2つの間に亀裂が入り、二極化を迎えるときがくる。
今まで建前で生きてきた人間は、時代の変化に取り残されて相手にされなくなる。
これは変化のスピードが速すぎて、建前で「常識ではこうだ」と考えているうちに、追いつけないところまで時代が進んでしまうからだ。
風の時代へ完全に移行すれば、常識すら形のないものになっているであろう。
この風に乗るためには、自分の本音で直感的に判断することが大切になる。
これから先、今までのように「保身や責任逃れ」のために、あれこれ考えている余裕などないのである。
集団の中で建前の恩恵を受けてきた人間は、現状維持バイアス・正常性バイアスから抜け出すことはできない。
時代と共に変化を楽しめるのは、風のような自由を求めてきた個で生きる者たちである。
本音と自由な発想で効率化・生産性の向上を図る
「建前なんかもういらない」そんな時代は必ず来る。
効率化と生産性の向上を図るためには「これムダじゃない?」「これ何か面白そう」などの、本音と自由な発想である。
建前が前提にあると、議論が生まれない。
なぜなら、建前と言う答えが先に出てしまっているから。建前の答えに合わせるように、建前のストーリーを考え、手順を踏んで進んでいかないといけない。実に非効率である。
しかし、建前では遠回りになっていた問題解決も、本音で議論し合えば、回りくどい手順を踏まなくてもいいからストレートで解決する。
しかも今まで非常識とされてきたアイデアも活用できるようになる。新しい技術もためらいなく導入できるようになる。
本音の先には、建前と比べ物にならないほどの、効率化・生産性の向上を図ることが可能になる。
まとめ
建前は日本人特有の考え方。
情報が少ない時代は、建前社会が平和に暮らすための文化だったのかもしれない。
しかし時代が移り変わり、建前は限界を迎え、息苦しさを通り越し窒息寸前である。
平成の失われた30年が物語るように、建前社会は終わらないといけない。
建前の先に、未来はないのだから。
<謎のルールを無くしませんか?>