「路上飲み」から日本人のモラルを考える|自由と束縛の狭間に生まれた歪んだ正義感

当ページのリンクには広告が含まれています。

コロナ禍の混沌とした時代を迎えた世界、日本でも多くの問題が表面化している中で、路上飲みというワードがメディアで取り上げられている。

自由を主張する者、規制を求める者、どうでもいいと思っている者、考え方は人それぞれでありどれが正しいとは言えない。

しかし一つ言えるのは、「他者を理解できない歪んだ正義感」が自由と束縛の狭間から生まれていることは確かである。

今回は「路上飲み」から日本人のモラルについて考える。

目次

自由も規制も正義!だがどっちも頭が悪い

桜の季節、日本では「お花見」と称して野外でお酒を飲む文化がある。他にも祭などでは当たり前に路上で飲酒をする。

野外で飲むビールは最高にうまい。

海外では路上飲酒を規制している国もあるが、日本ではそうなって欲しくないと私は思っている。

自由を叫ぶ利己主義者

日本で路上飲酒の規制がかからないのは、日本人がある一定のモラルを守っているから。

アルコールが入ることによって多少の迷惑をかける者もいるが、許容範囲内として特に問題になることは少ない。

では今回の路上飲みはどうだろうか。

日本では路上飲酒は禁止されていないが、歩道や道路に座り込み酒を飲む行為は、花見や祭とはまったく違う異様な光景に映る。

「どこで飲んでも自由だろ!」

まあ確かに自由だが、他人に迷惑をかける自由なんて存在しない

路上で酒を飲むこと自体が、歩行者や通行車両の迷惑になっていると考えられないなんて「頭が悪い」としか言いようがない。

ゴミの放置も問題になるだろう。人は酔っぱらうと片付けができなくなる、これも事実だ。

自由を叫ぶ利己主義者によって残されたゴミは、税金を投入されて片付けられる。

ほんとバカみたいな話だ。

こんなことを続けていれば、いつかは規制がかかり、全国民の自由が奪われることになりかねない。

路上飲みをしている人たちよ、結果的にあなたたちのしていることは自由を奪うことに繋がっていると理解せよ。

自由と責任はセットなのだ。

他人を許せない正義中毒者

「路上飲みに規制をかけよ」という声もちらほら聞こえてくる。

まあ確かに迷惑だし、気持ちはわかる。しかし規制やルールをいたずらに増やすのには反対だ。

規制やルールは見えない鎖であり、増えれば増えるほど生きにくい世の中になることは間違いない。

よく考えて欲しい。

あなたの家の近くで、深夜遅くまで路上飲みをしていて、眠れないからなんとかしてほしいとかなら警察に通報して移動でもしてもらえばいい。

路上飲みが迷惑だと感じるのは、その横を通る一瞬だったり、ただニュースを見て騒いでいるだけではないだろうか。

正義中毒者はただ単に、自分が許せないことを排除することに快楽を覚えているだけにすぎないのだ。

正義中毒者の快楽のために、規制やルールが増えるのはまっぴらごめんだ。

私はコロナが治まったら、お花見や祭でビールを楽しみたい。

「みんなやっているから」が招くモラルの低下

日本人に多い「みんなやっているから」の集団心理。

善悪関係なく、どんなことでも「みんなやっているから」で動くのが日本人。

路上飲みもその一つ。

路上で酒を飲むことに大して意味はないと思うが、みんながやっているから僕も私もとなる。

友達と飲みたければ、家でコロナ対策をとった上で飲めばいいはずだが、外なら感染のリスクが下がると思い込んでいるのか、はたまた何も考えてないのか。

誰にも迷惑さえかけなければ路上飲みをすればいいのだが、集団心理が働けばそうもいかない。

誰かが酔っぱらって歌って踊り出せばみんなが騒ぎだす。誰かがゴミを放置すればみんなが後に続く。

集団心理は悪い方向へと進みやすく、頭の悪い人間が集まれば、罪悪感は加速度的に薄れていくもの。

これは路上飲みをする人だけに当てはまるものではなく、正義中毒者にも言える。

SNSなどで正義を振りかざしてターゲットを死に追い込む行為もそうだ。

「みんなやっているから」で人を殺しても、集団心理の影響で個々の罪悪感なんて微塵も感じないのだ。

こうやって日本人のモラルはどんどん低下していくのである。

自由と束縛の狭間に生まれた歪んだ正義感

集団心理に流されやすい人間は、自由と束縛の間にある狭い空間に押し込められて生きている。

この狭い空間に漂うことで、自分の頭で考えることを止めた人間は、右に傾けば右に、左に傾けば左に流され安心感を覚える。

日本人にミーハーと呼ばれる「熱しやすく冷めやすい」人間が多いのはこのためだ。

自由を叫ぶ人間も、規制を叫ぶ人間も、それぞれの正義を叫んでいるに違いない。

しかし両方とも、自分の快楽を求めるその場しのぎの歪んだ正義感にすぎないのだ。

現在のコロナ禍でも、考えれば楽しみ方なんていくらでもあるのだが、狭い空間にいる人間は考えようともしない。

自由だと言っても、感染を広げることは自身を苦しめることになるし、規制を増やしても頭の悪い人たちは気にしない。

結局、思考停止した人間の歪んだ正義感は、日本のモラルの低下を招くだけである。

さて、これから日本はどこへ向かうのか、楽しみである。

私は庭でも眺めながら、一人でビールを飲みましょうか。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次